探偵ナイトスクープの局長は現在3代目の松本人志さん。
関西の人気番組で1988年から放送されてる長寿番組で、2代目の西田敏行さんは知っているけど、初代司会は誰か知らない方が増えています。
今回は、その初代、2代目局長を中心に、顔画像を交え、どういう方だったのか徹底調査してみますので、どうぞご覧ください。
【初代局長】上岡龍太郎(1988年3月5日~2000年4月21日)
上岡龍太郎さんは、「パンパカパ~ン!今週のハイライト!」の時事漫才で一世を風靡した『漫画トリオ』の漫才師横山パンチとして活躍されていました
上岡龍太郎さんは、横山ノックさんの参議院選出馬により、人気絶頂だった『漫画トリオ』が解散となり1人で活動を始めます。
芸能に関する豊富な知見を生かし、理路整然としつつも、とげのある語り口でテレビやラジオで活躍されました。
「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才、私が上岡龍太郎です」という流暢に話すキャッチフレーズ。
「ラブアタック」や「横山ノックのノックは無用」「鶴瓶上岡パペポTV」[EXテレビ」などのMCが思い出されます。
そして、1988年3月5日、上岡龍太郎さん45歳の時に初代探偵局長として、スタジオをひとつの探偵事務所(番組では“探偵局”と呼称)に見立て、視聴者から寄せられた依頼を、探偵局員が調査依頼した視聴者と共に調査し、その過程のVTRを流すという「探偵ナイトスクープ」が朝日放送でスタートしました。
この「探偵ナイトスクープ」23時過ぎから始まる深夜番組にも関わらず、最高視聴率32.2%(1998年4月24日)を記録。
その脅威の視聴率から、お化け番組と呼ばれました。
しかし、上岡龍太郎さんは「俺は、芸能生活40周年を迎える2000年の春になったら完全に隠居する!」と公約していた通りに芸能界を引退。
局長の座はも2代目の西田敏行さんにバトンを渡されました。
そんな、初代局長の上岡龍太郎さんですが、大阪市内の病院で肺がんと間質性肺炎のため、81歳で5月19日に亡くなられていたと報じられました。
心からご冥福をお祈りいたします。
【2代目局長】西田敏行(2001年1月26日~2019年11月22日)
2代目局長の条件
・探偵!ナイトスクープ』のファンであり、かつ阪神タイガースのファンでもあることが望ましい。
・探偵局員より年長者であること。
・上岡クラスか、それ以上の大物であること。
西田さんのスケジュール都合で約8か月、二代目局長のことには番組内で触れずに、探偵や顧問による「局長代行」で番組を継続。
2001年1月から2代目局長に就任されました。
途中、仕事や病気、ケガなどで休むこともありましたが、2019年11月まで局長を務められ、その降板理由については、
探偵やスタッフの熱意が感動になった。
引用元:Yahooニュース
感動になって泣いてしまった。
そしたら依頼者の年齢層も低くなってきて、家庭の悩み問題もたくさんでてきて、乾いた笑いからマスターキートンな話題から、(僕は)チャップリンになってきたので。
これはやはり乾いた笑いとぬれた笑い感性をフィフティフィフティにして進みたいなと思った、ぬれた感性が多くなってきたので、大阪人のエスプリを効かせる番組に修正していかないと番組を作ったコンセプトが薄らいでいくのではというのがあって、引こうかと。
と、話され、また、「体力的にしんどいとかはあるか」という報道陣の質問に対し、西田敏行さんは、
【3代目局長】松本人志(2019年11月29日~
3代目局長には、ダウンタウンの松本人志さんが就任。
松本さんは就任会見の時に、このように話されています。
(西田)局長辞めないで感満載やん。大好きな番組なんで二つ返事で受けさせてもらったけど、後悔しかないわ」と苦笑い。
引用元:ORICON NEWS
2016年には“依頼者”として出演したほど、番組のファンだという松本は「僕が出ることで好きな番組のカラーが変わってしまうのが心配やけど、僕一人で変わるようなヤワな番組ではないですね。
最初はファンの一人として観させてもらう感じで
松本さんは、番組史上初の探偵より年齢が若い局長として、現在番組を支えておられます。
探偵ナイトスクープ 歴代局長まとめ!初代局長は上岡龍太郎! まとめ!
いかがでしたか?
初代の上岡龍太郎さんの訃報を聞き、すごく残念な思いですが、西田さん、松本さんと当時の番組のスピリッツは引き継がれていると思います。
これからも視聴者を楽しませる番組として、局長さん以下探偵の皆さんで番組を盛りあげて欲しいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
【追伸】キダ・タロー最高顧問死去
「浪花のモーツァルト」として親しまれた作曲家でタレントの作曲家のキダ・タロー(本名・木田太良=きだ・たろう)さんが14日、死去した。
引用元:スポニチ
93歳。兵庫県宝塚市出身。
葬儀・告別式は近親者で行われた。所属事務所が公式サイトで発表した。
2代目所長の西田敏行氏のコメント
あの笑顔、あの声、あの可愛い仕草(しぐさ)に触れられないのかと思うと胸が苦しくなります。
人生の大先輩ではありますが、可愛い愛おしい人でした。
無常の喪失感と淋(さび)しさに襲われています。今はただ御冥福を祈ります」
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