【宝塚】宙組トップ芹香斗亜の父は元プロ野球選手でセンバツ準優勝投手 

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宝塚歌劇団は「宙組トップ・芹香斗亜が来年4月退団する」と発表しました。

芹香斗亜さんの父は、阪急ブレーブスのエースだった山沖之彦さんというのは有名ですね。

この山沖さんは、高校時代も、センバツ高校野球で準優勝された甲子園のヒーローだったのはご存じでしょうか?

今回は、その甲子園での活躍ぶりもご紹介してみます。

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宙組トップ芹香斗亜(せりか・とあ)

1990年1月20日生まれで、出身地は兵庫県神戸市です。

本名は山沖彩也花(やまおき・さやか)、血液型はB型、身長は173cm。

  母親は1979年に宝塚歌劇団に入団した65期生で、月組の男役として活躍された白川亜樹さん。
  母の白川亜樹さんも身長172cmの長身でした。

芹香斗亜さんは、2005年に宝塚音楽学校に入学。

2007年、宝塚歌劇団第93期生として入団。

星組公演「さくら/シークレット・ハンター」で初舞台。

2010年の「愛と青春の旅立ち」で新人公演初主演。

173センチの長身を生かして活躍。2012年4月には花組へ移りました。

ダイナミックなダンス、落ち着いた男らしい深みのある芝居、情感のこもった歌唱力に磨きがかかり、3拍子そろったスターへと成長しました。

父は元プロ野球選手 山沖之彦(阪急・オリックス→阪神)

父・山沖之彦さんは専修大学から1981年のドラフト会議で阪急ブレーブスからドラフト1位指名され入団。

191cmの長身を生かした投球で、入団3年目の1984年には抑えの切り札としてリーグ優勝に貢献。

1987年には先発ローテーションの中心となり19勝を挙げ、最多勝を獲得。

1995年にはFAで阪神へ移籍するも、故障の影響で1軍登板はなく引退。

プロ野球通算13年で、327試合登板し112勝101敗24セーブ。

1764イニングを投げ、奪った三振は1051で通算防御率は3.92と、プロ野球で

活躍されました。

父は1977年のセンバツ準優勝投手

芹香斗亜さんの父・山沖之彦さんは、プロでも100勝以上を上げ、阪急・オリックスのエースとして活躍されました。

そんな山沖さんの名前を全国に轟かせたのは、1977年の第49回選抜高等学校野球大会(センバツ)でした。

四国から3校が選ばれ、その中の高知・中村高校のエースとして、中村高校を初の甲子園に導きました。

この年の中村高校はチームメンバーが12名しかおらず「二十四の瞳」と言われ注目を集めたチームでした。

一回戦戸畑高校を3-0で破ると、次の海星高校にも6-2、天理高校を4-1、岡山南も4-1で下し初出場ながら決勝進出。

決勝戦は和歌山の箕島高校に0-3と敗れるも準優勝で甲子園に旋風を巻き起こし、山沖投手はこの5試合すべてを投げ切り、

この準優勝が山沖投手の名前を全国に広げる結果となりました。

【宝塚】宙組トップ芹香斗亜の父は元プロ野球選手でセンバツ準優勝投手 まとめ!

身長191cmで甲子園準優勝、ドラフト1位、阪急ブレーブスのエースという父と身長172cmの元タカラジェンヌの母を持つ、芹香斗亜さん。

宝塚を退団されても、活躍の場を広げていって欲しいですね。

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