中日時代、「アライバ」と呼ばれ、その芸術的な守備と巧打でファンを魅了した井端弘和氏。
その井端弘和氏のwiki経歴と球歴と出身大学高校や小中学校について調べてみました。
どうぞご覧ください!
井端弘和のwiki経歴
名前・ふりがな | 井端 弘和 | いばた・ひろかず |
生年月日・年齢 | 1975年5月12日 | 48歳 |
身長・体重 | 173㎝ | 73㎏ |
ポジション・投打 | 内野手(遊撃・二塁) | 右投右打 |
出身地 | 神奈川県川崎市 | |
ドラフト会議 | 中日ドラフト5位 | 1997年 |
契約金・年俸 | 6500万円 | 900万円 |
所属球団 | 中日→巨人 | |
背番号 | 48→6→2→82 | |
配偶者 | 河野 明子 | 元テレビ朝日アナウンサー |
井端弘和の球歴
地元・藤崎のチーム
野球を始めたのは幼稚園の頃。
小学1年生からは十数人が在籍する地元の藤崎のチームに入団。(チーム名は不明)
週5日練習があり、入部当時1年生は一人でついていこうと必死だったそうですが、雨が降ったらショックなくらい、練習は遊び感覚でとても楽しかったそうです。
髪は丸刈りでしたが、当時、監督がやってくれていたので、小学生のころ、散髪に行ったことなかったと話されています。。
野球には自信があり、自分は野球選手になれると思っていて、清原(和博)さんがPL学園から西武ライオンズに入団し、活躍されていたのを見て、自分も同じくらいにはなれるんじゃないかと思っていました。
引用元:東京新聞TODAY
身長も170センチくらいあったので。
城南品川リトルシニア
川中島中学校に入学し、部活は籍だけ陸上部に置いたまま、自転車で行けるからと自分で選んだ、硬式野球の〝城南品川リトルリーグ〟に入部しました。
中学までは投手兼センターでした。
野村克也さんの妻・沙知代さんがオーナーを務めていた港東ムースと中3の夏に対戦。
延長の末、1対2で敗れましたが投手として強豪の港東ムース相手に惜敗するも好投を見せました。
そして、この試合を当時野球解説者だった野村克也さんが、偶然に観戦していました。
高校は地元の横浜商業高校を考えていた井端氏に、ある日、野村克也さんから突然、自宅に電話が入りました。
「本当にビックリしました。高校で野球やるのなら強いチームでやった方がいいと言われました。それで堀越を紹介していただいたんです」。
引用元:中日スポーツ
さらに野村克也さんから井端氏の野球人生を変える言葉も添えられた。「君は投手よりも、遊撃手になった方がいい」
都内の高校への進学は全く考えていないし、遠いと思った井端氏ですが、堀越の場所や野球部を調べてみると甲子園に出場しているのを知ります。
それなら、3年間いたら一度くらいは甲子園に行けるのではないかと、入学を決めたと話されています。
東京・私立堀越高等学校 硬式野球部
当時の堀越高校の監督である桑原監督は野村克也氏と親しく、息子の克則氏の在学していました。
そして、野村克也氏の助言通り、堀越高校入学後は遊撃手に転向します。
甲子園には、2年時に第64回選抜高等学校野球大会、3年時に第75回全国高等学校野球選手権大会に出場しています。
第64回選抜高等学校野球大会(2年生)
1回戦 堀越(東京)7ー4村野工業(兵庫) 先制のタイムリー安打を含む、2安打3打点
2回戦 堀越(東京)0ー4星陵(石川) 1安打放つも敗退(星陵には松井秀喜がいました)
第75回全国高等学校野球選手権大会(3年生)
1回戦 堀越(東京)1-0西条農業(愛媛) 3打数2安打
2回戦 堀越(東京)0-3鹿児島商工(鹿児島) 2打数0安打1四球
桑原監督は「井端の守備は絶対にファンブルしない (一度つかんだボールはグローブから落とさない)ところと、スローイングの良さ」にほれ込んだ。
引用元:中京テレビ
高校時代も悪送球のエラーは見たことがないと語った。
高校時代には1日最低5時間の練習とさらに、練習が終わった後も寮に帰ってからひとりで2時間はバットを振っていたという井端氏。
しかし野球以外では、「いつも無口でどこにいるのかわからない程存在感がなかった」と桑原監督は話されています。
亜細亜大学 硬式野球部
東都大学リーグ1部リーグ通算
81試合に出場。269打数で78安打、打率.290、4本塁打、33打点
東都大学リーグ2部リーグ通算
11試合に出場。48打数14安打、打率.291、1本塁打、5打点
ベストナイン(二塁手)3回 1996年秋季、1997年春季、1997年秋季。
全日本大学選手権準優勝。
1997年のドラフト会議で中日から5位指名を受けました。
ファンの皆さん、とくに盗塁と守備を見ていただきたいです。
少しでも早く、1軍でプレーできるよう頑張ります。ご声援をよろしくお願いします。12月18日 井端 弘和
引用元:中日ドラゴンズオフィシャルホームページ
中日ドラゴンズ球団事務所にて
中日ドラゴンズ
中日 通算15年 1,711試合出場、6,370打数、1807安打、打率.284、52本塁打、475打点
ベストナイン5回(2002年、2004年~2007年)
ゴールデングラブ賞7回(2004年~2009年、2012年)
読売ジャイアンツ
巨人 通算2年 185試合出場、433打数、105安打、打率.242、4本塁打、35打点
プロ通算17年 1,896試合出場、6,803打数、1,912安打、打率.281、56本塁打、510打点
WBC(2013年) 6試合出場、18打数、10安打、打率.556、本塁打0、打点4
コーチ歴
2016年~2018年 巨人一軍内野守備走塁コーチ。
2017年1月開催 第一回アジアプロ野球チャンピオンシップ日本代表内野守備・走塁コーチ。
2019年 侍ジャパンの強化本部編成戦略担当。
2019年 WBSCプレミア12日本代表 内野守備・走塁コーチ。
2020年 オリンピック 野球日本代表 内野守備・走塁コーチ。
2022年 台湾プロ野球CPBL・台鋼雄鷹(TSGホークス)の客員コーチ就任。
2022年 NTT東日本硬式野球部臨時コーチ。
2022年 第6回WBSU U-12ワールドカップ U-12日本代表監督。(7位)
2023年 第7回WBSU U-12ワールドカップ U-12日本代表監督。(4位)
2023年 8月1日付で亜細亜大学硬式野球部外部コーチ就任。
井端弘和の出身校
3年生までは東大島小学校(川崎区)→4年生の時に川中島小学校(川崎区)
井端弘和氏は3年生まで、川崎市立東大島小学校でした。
井端弘和氏は4年生の時に、川崎市立川中島小学校に転校しました。
川崎市立川中島中学校
井端弘和氏の出身中学は、川崎市立川中島中学校です。
東京・私立堀越高等学校(偏差値38~42)
井端弘和氏の出身高校は、東京の私立・堀越高等学校です。
亜細亜大学(偏差値35.0~42.5)
井端弘和氏の出身大学は亜細亜大学です。
井端弘和のwiki経歴と球歴!出身大学高校や小中学校徹底調査!まとめ!
いかがでしたか。
WBC「侍ジャパン」の次期監督候補として名前が挙がっている井端弘和氏。
今後もユニフォームを着続けて欲しい方だと思います。
益々の活躍を期待しています!
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント