【過去】逮捕された3人の現役プロ野球選手!

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華々しいプロ野球の世界ですが、過去には現役選手時代に逮捕されてしまった選手もいます。

今回は、そんな逮捕された3人の現役選手についてまとめてみました。

どうぞご覧ください。

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目次

逮捕された3人の現役プロ野球選手

中山裕章投手(横浜大洋ホエールズ)

1985年、高知商業高等学校から横浜大洋ホエールズにドラフト1位指名され入団。

高知商業高校時代は1年夏から控え投手としてメンバー入りしました。

桑田真澄、清原和博を擁する大阪代表のPL学園との準々決勝にエース津野投手のリリーフとして登板を果たしました。

3年生の夏には、その年の選抜優勝校の伊野商業を決勝で破り、最速150kmのエースとして甲子園出場を決めました。

甲子園では準々決勝に進出しましたが、PL学園に3-6と敗れてしまいました。

1985年のドラフト会議では、桑田真澄投手、清原和博選手らとともに目玉選手として注目を集めました。

横浜大洋ホエールズから1位指名され契約金5200万、年俸430万(ともに推定)背番号は19。

1988年にはリーグ最多の70試合登板し、10勝6敗24セーブ、防御率2.28でプロ野球を代表するストッパーになりました。

1990年、1991年には開幕投手も務め、6年間で32勝53敗44セーブの活躍。

1991年オフには2650万円で契約更改していました。

しかし、肩や腰を痛め秋季キャンプから離脱。

「何をやっても嫌な状態で野球に対するやる気がなくなり、精神的に不安定な状態」になってしまいました。

1991年11月12日15時5分ごろ、中山は横浜大洋ホエールズ総合練習場で練習をしてから車で自宅(横浜市緑区若草台)へ帰宅途中、横浜市金沢区の住宅街で近隣住民の小学4年生女子児童(事件当時10歳)に対し、スカートの裾から手を入れるわいせつ行為をした。

その直後となる同日15時10分ごろには住宅街で小学5年生少女(当時11歳)に対し自分の下半身を露出したままスカートの上から、尻を触るわいせつ行為を行った。

さらにその直後(15時15分ごろ)、同所付近にあった建物の階段で帰宅途中だった幼稚園児の女児(当時6歳)いきなり後ろから抱き上げ、下着を脱がせるなどわいせつな行為をした。

神奈川県警察捜査本部が1991年12月25日朝から中山を被疑者として任意同行して追及。

中山が1991年11月12日の2事件(それぞれ11歳・6歳の女児2人に対する強制わいせつ・公然わいせつ事件。時系列順では2・3件目)について、いずれも容疑を認める供述をしたため、神奈川県警捜査一課・金沢警察署は同日夕方に強制わいせつ・公然わいせつの容疑で中山を逮捕となった。

取り調べに対し中山は「11月上旬に腰などを痛めたため沖縄の秋季キャンプから帰ってきたが、婚約者の女性と会えず欲求不満が溜まっていた。

(女性の)年齢が高いと自分が『大洋の中山投手だ』と分かってしまうので小さな子を狙った。大変恥ずかしいことをしてしまった。深く反省している」などと供述しています。

強制わいせつ罪の2件は、示談が成立したため、いずれも被害者側が告訴を取り下げ、公然わいせつ罪についても「既に社会的制裁を受けており本人も深く反省している」として起訴猶予処分となりました。
しかし、このような強制わいせつのような悪質な犯罪容疑で一流選手が逮捕されたケースは同球団に限らず、球界としても前代未聞の大事件。

本事件は野球協約統一契約書様式第17条(模範行為)に違反するものであることから、大洋球団は1992年1月7日付で保留選手扱いだった中山を解雇して中山の保留権を放棄した上で、統一契約書式第26条に基づき、中山を自由契約選手とすることを発表しました。

その後中山投手は、1994年に中日で球界復帰し、2001年までで203試合に登板し19勝18敗18セーブの成績を残し、2002年には台湾に渡り、2年間で59試合に登板し、25勝14敗1セーブの成績を収めています。

中山投手は横浜の抑え投手として1軍で活躍されていた投手でしたので、当時ニュースや新聞、ワイドショーでも大きく取り扱われました。

杉山直樹捕手(読売ジャイアンツ)

静岡・沼津学園高校では主将で4番を務め、盗塁阻止率8割という強肩捕手で、1987年のドラフト会議で読売ジャイアンツから6位指名を受け入団。

1990年に1軍に昇格し、プロ初出場を果たすも、1軍に定着したのは1995年からで、1996年には66試合に出場を果たしています。

1995年には新人の河原純一投手、1996年はガルベス投手の専属捕手として活躍しました。

しかし、2010年10月25日、日本シリーズに備えに宮崎で行ったミニキャンプ中、宮崎市内のスナックで、同席した女性の胸を触ったほか、近くの路上で無理やりキスをし、「いい加減にして」などと言われたことに腹を立てて、履いていた靴で女性の頭を3回殴り5日間のけがをさせたとして、強制わいせつ致傷の疑いで逮捕されました。

逮捕に際しては、逮捕当日の午前中、「プロ野球選手のまま逮捕されるのは嫌だ」という杉山の意向もあって、事情聴取される直前に球団に退団願が提出され、それを受けて球団が解雇したという経緯がありました。

しかし、逮捕当日の夜の球団記者会見で、逮捕直前に球団が退団願を受理・解雇処分としたことが明らかになり、また、野球協約上は、保留期間中に球団が選手契約を解除する場合はウエーバー手続きを行わなければならないため、野球協約上は現役であり、毎日新聞、日経新聞、産経新聞は現役選手として報道しました。

この点について山室球団代表は、社会的な責任を考慮して協約を離れたところで解雇したと釈明していました。

結局、逮捕の翌日になって、プロ野球コミッショナー事務局は、杉山を任意引退を経た自由契約選手として公示しました。

堂上隼人捕手(福岡ソフトバンク)

神奈川県の強豪校武相高校から、横浜商科大学へ進み、三塁手でベストナインに選ばれ、その後、捕手へ転向し3年春秋、4年秋ベストナイン。

大学4年の時には第32回日米大学野球選手権大会に出場。強肩強打の捕手として注目され、複数の球団のドラフト候補にも挙がったが指名はなかった。

卒業後、社会人野球のの名門日産自動車へ入社するも、入社2年目に退社し、四国アイランドリーグの、香川オリーブガイナーズへ入団。

2008年のドラフト会議で、福岡ソフトバンクから育成ドラフト5位で指名され入団。

翌2009年の開幕前に、支配下登録され背番号も126から42へ変更となりました。

2010年に一軍公式戦に出場し、初安打も記録しています。

2012年8月19日、福岡県粕屋郡内で女性に猥褻な行為をしたとして、同月23日に強制わいせつの疑いで逮捕され、翌8月24日に球団は堂上との契約を解除したことを発表し、8月27日付で自由契約選手公示されました。

しかし、さらに9月12日には、7月23日にも古賀市で17歳の少女に猥褻行為をしたとして強制わいせつの疑いで再逮捕され、10月9日には7月30日に福岡市東区で女子大生に猥褻行為をしていたとして3度目の逮捕となっています。

検察は懲役2年6月を求刑しましたが、1月25日、懲役2年の実刑判決が下り。堂上側は控訴しましたが、同年4月24日に控訴が棄却されました。

逮捕された3人の現役プロ野球選手 まとめ!

限られた才能のある人しか入ることの出来ないプロ野球の世界。

入りたくても入れない選手の方が、はるかに多いだけに残念でなりません。

今後、プロ野球ファンとして、このような選手が出て来ないことを祈りたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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