MLBで大活躍の大谷翔平選手の兄・龍太さんは、トヨタ自動車東日本硬式野球部のコーチをされているのをご存じですか?
今回は、大谷翔平選手のお兄さんについてwiki経歴や球歴を徹底調査してみました。
どうぞご覧ください!
大谷翔平・兄のwiki経歴!
噂通りのイケメンですね!
名前 | 大谷 龍太 | おおたに・りゅうた |
出身地 | 岩手県奥州市 | 生まれは横浜市 |
生年月日・年齢 | 1988年3月20日 | 35歳 |
身長・体重 | 187㎝ | 87kg |
血液型 | O型 | |
ポジション・投打 | 外野手 | 右投右打 |
現在 | トヨタ自動車東日本 硬式野球部コーチ |
弟の大谷翔平選手については次のように話されています。
「家に帰ってくれば、ただの普通の弟なんですけどね。でも今は、メジャーリーガーになっちゃったので、テレビを見ていると不思議な感じです。家族ではありますけど、いちファンとして応援しています」
引用元:Sprotriva
【大谷翔平の兄】大谷龍太の球歴!
岩手・水沢市立南中学校(現・奥州市立水沢南中学校)
大谷龍太さんの出身中学は水沢市立南中学校(現・奥州市水沢南中学校)です。
大谷龍太さんはこの水沢市立南中学の軟式野球部に所属されていました。
2006年4月に市町村合併に伴い、奥州市立水沢南中学校となりました。
「センターかサードを守って、4番を打っていた中学のときは、活躍して有名な高校に誘われるような選手になりたいと思っていました。でも、自分自身の実力がなかったですし、チームも弱かった。身長が伸びたのも、中学最後の大会が終わってからでしたし……」
引用元:Sprotriva
大谷龍太選手は中学ではチームの中心となる4番打者だったんですね。
大谷龍太さんはチームは弱かったと書かれていますが、後に強豪チームへと成長したようです。
平成28年度の第63回岩手県中学校総合体育大会(中総体県大会)では3位になり、新聞にも掲載されていました。
そして、大谷龍太さんは一般入試で地元の県立高校に進学します。
岩手県立前沢(まえさわ)高等学校
ゾ地元の県立高校である、岩手県立前沢高等学校に進学し、主に3番打者として活躍。
最後の2005年夏の岩手県大会では、3勝を挙げますが甲子園には手が届きませんでした。
この年優勝したのは、就任間もない佐々木監督率いる花巻東高校。
高校選びの段階で、花巻東の話がなかったわけではなかったそうです。
もしこの時、花巻東に進学していたらまた違う野球人生になったかもしれませんね。
2005年 第87回 全国高等学校野球選手権大会 岩手県大会
・一回戦 岩手県立前沢高校 7ー1 岩手県立胆沢高校
・二回戦 岩手県立前沢高校 5ー4 岩手県立胆沢高校
・三回戦 岩手県立前沢高校 5ー2 岩手県立不来方高校
・四回戦 岩手県立前沢高校 3-14 岩手県立第四高校
卒業後の大谷龍太さんは地元企業へ就職しますが、「まだまだ、自分はできる」の思いに動かされ、工場勤務の傍ら野球を続けます。
水沢駒形(みずさわこまがた)野球倶楽部
大谷龍太さんは工場勤務をしながら、水沢市(現・奥州市)を拠点に活動するクラブチームの水沢駒形野球倶楽部で野球を続けました。
「クラブチームでやっていたときは、企業チームから引き抜かれるぐらいの選手になろうと思ってやっていました。でも、なかなか思うような練習もできない環境だった。『もうちょっとできるんじゃないか……』という思いがあるなかで、ちょうど独立リーグの存在を知って応募してみようと思いました」
引用元:Sportiva
そして、大谷龍太さんは自分の可能性を信じ、高校卒業から丸3年が過ぎた頃、会社を辞め挑戦することを決めました。
それは、四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグスへの自身の野球人生をかけた挑戦です。
仕事を辞めてまでも自分のやりたいことへの挑戦する大谷龍太さんでした。
高知ファイティングドッグス
「四国へ行ったときは、プロをイメージしていました。プロ野球は小さい頃からの夢。実力はなかったんですけど、やるからには上を目指したいと思っていました。でも正直、高校までは野球を本格的に教わったことがなくて、独学みたいなところがありましたからね。四国では、1年目から試合で使ってもらっていましたが、毎日のように監督やコーチに怒られていましたね」
引用元:Sportiva
高知ファイティングドッグスでの成績
2010年 74試合 打率.205 本塁打2 打点9 盗塁12
2011年 62試合 打率.227 本塁打2 打点14 盗塁3
3年目も契約するつもりだったちょうどそのとき、地元・岩手で新たに動き出そうとしていた企業チームへの誘いがありました。
トヨタ自動車東日本
「1カ月ぐらい悩みました。でも、社会人野球における企業チームが少なくなっているなか、新たなチームで野球をやってみたい。しかも、地元のチームということで、お世話になろうと思いました」
引用元:Sportiva
チーム発足当時は選手13人でスタートしたトヨタ自動車東日本。
試合をすれば敗戦が続き、オープン戦では岩手県内の大学に負けることも。
2012年8月にJABA岩手県野球定期戦兼第38回社会人野球日本選手権大会岩手県予選でチームは公式戦デビュー。
そして創部7年目の2018年6月、都市対抗野球東北予選で日本製紙石巻を破り、第89回都市対抗野球大会初代表を決めました。
創部当初からコーチ兼任の二刀流でチームを支えた大谷龍太さんは、1番レフトでフル出場しチームをけん引しました。
この都市対抗野球大会初出場について、社会人野球経験のある父・徹さんは、
「2人とも野球を続けてくれて、1人は社会人で1人はプロで。うらやましい部分もありますよ。(都市対抗に)出たことないし。チームメートと会社に感謝しながら、できる限り長くやってもらいたい」
引用元:スポーツ報知
と喜ばれていました。
では、大谷龍太選手の都市対抗野球大会でのバッティングをご覧ください。
大谷翔平・兄のwiki経歴と球歴!トヨタ自動車東日本のイケメンコーチ!まとめ!
先日、Twitterに夢グループでおなじみの保科有里さんが大谷龍太さんとの画像をUPされていましたね。
MLBでは弟の大谷翔平選手のドジャース移籍に注目が集まっていますが、兄の龍太さんにも注目ですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (2件)
自分の道を切り拓く力が素晴らしいですね。
弟さんに負けてない強さを感じますね。
コメントありがとうございます。
立派なご兄弟ですね。
きっと親御さんの育て方がよかったんでしょうね。