鳥谷敬のwiki経歴と球歴!出身大学高校や小中学校徹底調査!

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阪神、千葉ロッテで通算18年もの間、現役生活を務められた鳥谷敬さん。

今回は、その鳥谷敬さんのwiki経歴と球歴と出身大学高校や小中学校について調べてみました。

どうぞご覧ください!

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目次

鳥谷敬のwiki経歴

名前・ふりがな鳥谷 敬とりたに・たかし
生年月日・年齢1981年6月26日42歳
身長・体重180㎝79㎏
ポジション・投打内野手右投左打
出身地東京都東村山市
ドラフト会議自由獲得枠2003年
契約金・年俸1億円1,500万円
所属球団阪神→千葉ロッテ
背番号1→00
家族構成妻・子供5人

自由獲得枠
日本プロ野球のドラフト会議で、社会人や大学生の新人選手が希望の球団に入団できる制度

1993年のドラフト会議より導入され、2006年のドラフト会議を最後に廃止されました。


鳥谷敬の球歴

東村山ジュニアメッツ→小作台少年野球クラブ(6年生で転校)

小学1年生のときに柔道を始め、野球を始めたのは小学2年生の頃。

小学生時代は月・水・金曜日は柔道、週末は野球という二足のわらじだったそうです。

元々は左利きで右利きに矯正されたため小学校の途中まで右打ちだった鳥谷さん。

左手に箸を持ち弁当を食べていたのを見た監督から「左で打ったほうがいい」と言われたのがきっかけで左打ちに転向したそうです。

瑞穂シニア

中学生になるときに野球に専念することを決めた鳥谷さん。

シニアリーグに入ると同時に、右打ちから左打ちに変えることにしました。

それは本腰を入れて、野球に取り組むためでした。

しかし、中学時代は一気に身長が伸びたことで成長痛になり、ひざを故障してしまって満足に走ることができなくなった。

ようやくレギュラーの座をつかんだものの、今度は背中の肉離れに悩まされて、満足なプレーができなくなった。

引用元:PRESIDENTOnline

聖望学園高等学校 硬式野球部

中学時代所属していた瑞穂シニアから聖望学園に進む選手が多かったのもあり、鳥谷さんは聖望学園へ。

しかし、中学時代に両膝の成長痛で苦しんだことから、中学で野球は辞めるつもりだった鳥谷さん。

高校進学時には真剣に「これで野球をやめよう」と決意した。

「高校では大好きなサッカーをやってみようか」、そんなことを考えたこともある。

しかし、「強制はしないけれど、できれば野球を続けてほしい」という父のひと言をきっかけとして、高校でも野球を続けることを決めたのだった。

引用元:PRESIDENTOnline


高校入学後に成長痛の痛みが改善したことから、1年の秋に野球部に入部し、すぐに二塁手のレギュラーを獲得しました。

徐々に運動量を増やしながらショートに転向し、2年生の夏前には強肩を買われて投手も兼任。

3年生の夏には、遊撃手と投手を兼任しながら、甲子園初出場を決めています。

接戦をものにして勝ち上がったのですが、5回戦・準々決勝・準決勝はすべてサヨナラ勝ちでした

1999年相手チーム
2回戦聖望学園105上尾
3回戦聖望学園132越谷北
4回戦聖望学園83浦和北
5回戦聖望学園43大宮東
準々決勝聖望学園65春日部共栄
準決勝聖望学園32埼玉栄
決勝聖望学園62浦和学院

甲子園では、残念ながら1回戦で、大分の日田林工に3-5で敗れました。

自身は2安打2打点とリリーフで登板した際の直球は143㎞を計測しました。

早稲田大学野球部

早稲田大学のセレクションを受験し、当時の野村徹監督から高評価を受け、この年から同大学が設けたスポーツ推薦入学枠の第1号として合格しています。

1年春の入学直後の時点から正遊撃手に抜擢され、打順は主に3番打者を任され、2年春には、リーグ史上最速タイで三冠王を獲得。

リーグ通算96試合に出場、在学中の全試合にスタメン起用され、打率.333(345打数115安打)、11本塁打、71打点を記録。

遊撃手として5度のベストナインに選ばれました。

4年時には、第32回日米大学野球日本代表メンバーに選ばれ、アメリカへの遠征も経験されています。

阪神タイガース

2003年のNPBドラフト会議で自由獲得枠を通じ、契約金1億円、年俸1500万円(金額は推定)という最高条件で阪神タイガースに入団しました。

開幕戦である2004年4月2日の対巨人戦(東京ドーム)に「7番・遊撃手」としてスタメン出場でデビュー

前日の巨人戦(甲子園)で顔面に死球を受け鼻骨を骨折しましたが鳥谷敬選手は翌日の巨人戦、6回に代打で途中出場。

フェースガード着用で登場し、三ゴロでしたが、プロ野球史上歴代単独2位の連続試合出場を1,795に伸ばしました。

日本野球機構(NPB)の一軍公式戦(2004年9月9日 – 2018年5月27日)1,939試合連続出場(歴代2位)

13シーズン連続全試合出場(歴代2位)

遊撃手として歴代1位となる667試合連続フルイニング出場

千葉ロッテマリーンズ

前年に事実上の戦力外通告を受け阪神を退団し、2020年3月10日に千葉ロッテが獲得を発表。

10月28日対福岡ソフトバンク戦(PayPayドーム)で、「8番・遊撃手」として先発出場。

遊撃手としての通算出場試合数が1,768試合となり、石井琢朗の1,767試合を抜いて、当時の日本新記録を樹立。

プロ通算18年、2,243試合出場、2,099安打、138本塁打、830打点、打率.278

最高出塁率1回、ベストナイン6回、ゴールデングラブ5回

鳥谷敬の出身校

東村山市立八坂小学校→羽村市立小作台小学校(6年生で転校)

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