【阪神タイガース】なぜ大阪で絶大な人気になったのか?その理由3選!

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2023年のプロ野球は阪神タイガースの38年ぶりの日本一で幕を閉じましたが、注目を集めたのは何といっても阪神の関西(特に大阪)での絶大な人気。

確かにチーム発足当時の1935年から1960年まで大阪タイガース(1940年9月25日 – 1944年は阪神軍)というチーム名でした。

しかし、この兵庫県西宮市に本拠地を置く阪神タイガースが、特になぜ大阪で、これほどまでに絶大な人気になったのかその理由を深堀りしてみました。

どうぞご覧ください!

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目次

【59年前】1964年日本シリーズ 南海対阪神

今では、大阪と言えば阪神と言われるくらい、圧倒的な人気を誇る阪神タイガース。

今から59年前の1964年(昭和39年)にもプロ野球日本シリーズで南海ホークス対阪神タイガースという関西対決がありました。

当時、南海ホークスは大阪の繁華街ナンバのど真ん中に本拠地大阪球場を持ち、阪神タイガースは当時も兵庫県西宮市の甲子園球場を本拠地としていました。

しかし、この年は今年の関西ダービーを考えると当時は考えられないくらいの観客動員数でした。



特に東京五輪の開幕日と重なったというのもあるものの、3勝3敗で迎えた第7戦の甲子園球場の来場者数は、わずか15,172人でした。

空席が目立つ甲子園

日本シリーズは、南海の本拠地である大阪スタヂアムで開催された第3戦から第5戦までは2万人以上の観客が入ったが、

甲子園の試合は客足が思わしくなく、第7戦は1万5172人で空席が目立つほど。

幼少期からの阪神ファンという国際日本文化研究センター(京都市)の井上章一所長(68)は

「当時は阪神より南海の方が人気があった」と振り返りつつ、

「今でこそ関西のメディアはタイガース一色だけど、昔からそうだったわけではない」と感慨を込める。

引用元:産経新聞

阪神OB若生智男氏が1964年の関西シリーズを振り返る

若生智男投手

このシリーズで、阪神の投手として2試合に登板した若生智男氏が59年前の日本シリーズについて話している記事を見つけました。

そこには、「大阪対神戸」だった 阪神OB若生智男氏が振り返る1964年〝関西シリーズ〟という見出しが。

関西球団同士の対決というより、大阪対神戸の対決という感じがした。

大阪球場での試合は、神戸に負けられるかという大阪の人たちの対抗心が伝わってくるような雰囲気だった。

グラウンドと観客席が近いから、ヤジもはっきりと聞こえてくる。

甲子園もヤジは飛んでいたけど、大阪球場のヤジはもっと心に突き刺さるようなきついものだった。

引用元:デイリースポーツ

ということは、59年前は現在のような大阪=阪神という感じではなかったようですね。

【朝日放送ラジオ】おはようパーソナリティ中村鋭一です

中村鋭一氏

阪神タイガースが関西(特に大阪)で、絶大な人気になっていった理由の一つとして考えられるのが、この「おはようパーソナリティ中村鋭一です」というラジオ番組。

この番組は、大阪の朝日放送ラジオで、平日の朝7:15 – 9:30で1971年4月1日~1977年3月25日まで放送されていた生のワイド番組です。

朝日放送の元スポーツアナウンサーで、当時報道局のプロデューサーだった中村鋭一氏の冠番組でした。

当時はまだテレビで朝の情報番組のようなのはなく、朝の忙しい時間帯には時計代わりに家庭でもAMラジオの放送が重宝されていた記憶があります。

通勤中や仕事中の方も、車で放送を聞きながらという方も多かったのではないでしょうか。

そして、この番組の中で、この中村鋭一氏は関西弁で話し、熱狂的なファンであった阪神を番組でも前面に打ち出しました。

阪神が勝った翌日は、ラジオ実況のハイライトシーンを流し、球団歌の「阪神タイガースの歌」を中村鋭一氏がフルコーラスを熱唱とスタイル。

これが阪神ファンに絶大なる人気となり、日本のラジオ番組でトップの聴取率を記録。

最高聴取率は9%(テレビ番組の視聴率では40 – 50%台に相当)で、近畿地方では、カーラジオでの占拠率が6割を越えたこともあったとされています。

阪神タイガースの歌を、「六甲おろし」と呼び、世に広めたのはこの中村鋭一氏と言われています。

自身でも『阪神タイガースの歌』をレコード発売し、関西地方を中心に40万枚を超える売上を記録。

毎朝のように、ラジオから流れてくる六甲おろしに、阪神ファンでない方も自然に覚えてしまうくらいの放送が近畿広域で放送されていたのが阪神人気に火をつけました。

当時関西では、絶大な人気となった中村鋭一氏は「鋭ちゃん」と呼ばれ、「えーちゃん」と言えば関西では矢沢永吉ではなく、中村鋭一とも言われていました。

そして、この中村鋭一氏は関西での絶大な人気をもとに、その後、参議院議員を2期、衆議院議員を1期務めました。

中村鋭一氏が選挙のため降板した後も、朝日放送の後輩アナウンサー道上洋三氏が番組を引き継ぎ、同じように阪神ファンを前面にした番組を継続しました。

サンテレビジョン(兵庫県)

阪神タイガースを語るには、関西ではこれなしでは語れないのが「サンテレビジョン」の存在です。

昭和の時代、テレビでの野球中継と言えば、関西でも日本テレビ系列で19:30~8:54の巨人戦が中心でした。

そして、大体が試合の途中で放送が終わってしまうのが当たり前の時代でした。

しかし、兵庫県域のテレビ局開局として1968年に設立された「サンテレビジョン」は日本で最初に「プロ野球の(試合終了までの)完全生中継」を開始。

ホーム・ビジター問わず阪神タイガース戦の中継を積極的に行い「全試合・試合開始から終了まで、完全生中継」の『サンテレビボックス席』の開局当初から続く、サンテレビを代表する看板番組です。

兵庫県・大阪府の全域、京都府の12.8%(以下人口比)・奈良県の29.5%・徳島県の82.1%・香川県の30.2%・鳥取県の47.1%・岡山県の34.2%

及びその周辺の約750万世帯・1700万人で視聴可能(直接受信または共聴・ケーブルテレビでの視聴)。

この阪神戦の完全中継は兵庫県下だけでなく、大阪府全域でも視聴可能だったため、大阪での阪神人気に大きく影響を与えたと思われます。

ラジオ中継・スポーツ紙・タレント

阪神の人気が高まると、AMラジオのナイター中継も在阪各局がこぞって阪神戦を中継し、どの局も阪神戦ということが多くなりました。

また各スポーツ紙も人気が高まるにつれ、阪神中心の紙面構成となり、一面は阪神が当たり前のようになっていきました。

桂春蝶(二代目)・上岡龍太郎・月亭八方

また、関西のタレントさんなども、阪神ファンを公言する方が増え、番組の中で阪神の話題が増えていきました。

【阪神タイガース】なぜ大阪で絶大な人気になったのか?その理由3選!まとめ!

いかがでしたか?

兵庫を本拠地とする阪神タイガースが、なぜ大阪でも絶大な人気チームになっていったのかを深堀してみました。

やはりテレビやラジオの影響は大きかったようですね。

低迷期でも衰えることのなかったその絶大な人気は、今後も続くことでしょう。

最後までご覧いただきありがとうございました。


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